「まったく何も無いない世界」ってあると思いますか?
変えて言うならば、
「まったく何も無い」、ということを想像できますか?
ということなのですが。
まあ、
何も無い世界があると思いますか?
という問いが、そもそも間違えてますけどね。
何も無いのに、あるかどうかなんておかしいですよね。
「何も無い」って言っちゃってるし。
「何も無い」という状態が想像つきますか?
何も無い。
本当の意味で何も無い。
つまり、音も無ければ、色も無い。
空気も無いし、隔てる壁も無い。
空も、宇宙も、上も、下も、無い。
想像つかないですよね。
でも、「何も無い世界」という言葉は存在してしまう。
じゃあ、「何も無い世界」は存在するのか?
と、考え出すと、無限回廊に陥ってしまう。
にわとりが先か、たまごが先か
の話のような煮え切らなさと似ている。
「私は嘘つきです」と正直に答えた人。
この人は嘘つき者?それとも正直者?
のような煮え切らなさ。
人を騙すことは簡単です。
「私はこれからあなたを騙します」と言えばいい。
上手く何かで騙すことができれば、
それは、それで騙せたことになるし、
何も出来なくても、
「これからあなたを騙す」と言ったこと自体がうそになり、
結果、その人を騙すことになるから。
のようなヘリクツ。
あっ
ヘリクツって言っちゃった。
煮え切らなさじゃなかった。
「この文章を読むな」
という文章。
のような歯がゆさ。
あっ
はがゆさって、、、
まあ、そんな感じです。
さて、こんにちは。
何ヶ月ぶりの更新でしょうか?
ちょっと私、そんな無限回廊を彷徨っていたもので、
何も無い世界から、脱出できませんでした。
もう、このブログ、見ている人、
いないんじゃないかな〜?
アクセス解析を見ると、だいぶ、けっこう、なかなか、どうして、
いらっしゃる!!
ありがとう。
そんなみなさんありがとう。
書かなきゃ。書かなきゃ。
風風が強いとつらい。
先日ちょっと風が強い日。
外に出た。
とある場所に向かって。
コンタクトをしている私にとって風はとりあえず手っ取り早く災害です。
ゴミが入るったらありゃしない。
目が乾くという弊害もあるが、
ゴミが入ったときには、そりゃあもう痛い。
特にハードコンタクトをしている私にとっては、ゴミは大敵です。
「地震、雷、火事、親父」
に匹敵する程の災害か、
「自信家、身なり、家事を野次」
自信家は身なりを大切にしないと家事をやっていても野次を飛ばされる。
に匹敵する災害か、
「地震か?、身なりか?、痔?おや?痔?」
地震は怖いし、
身なりもしっかりしてないと怖いし、
痔も突然なったら怖いですものね。
に匹敵するか、、、
ぐらい災害です。
うん
違うのはわかっているよ。。。。。
コンタクトをしているから、
風に対しては敏感。
正面から吹こうものなら、
顔を下に向け、
ほぼ、前は見ない状態で進む。
たいがい何かにぶつかる。
横から吹こうものなら、
その逆を向き、
ちょっと下を向きで、
ほとんど、勘で歩いているようなものになります。
たいがい何かにぶつかる。
さしあたっては、困難にぶつかっています。
そんな、とある日。
とある場所に向かって歩いていた私。
風は吹く。
前からも、横からも。後ろからも。
正面からきたら、下を向く。
横からきたら逆を向く。
後ろからきたら、若干体をあずけて、
風にのって早足になって進む。
意外に楽しい。
その日はほんとに風が強く、
正面から風がくると、
ほとんど前へ進めなくなってしまうような
風の強い日。
何度も何度も、下を向き、逆を向き、
そんな事を繰り返し、
もうほんとうに嫌気がさしてきたとき、
また、前から風が。
当然下を向き進む。
前があまり見えないため、
私はうっかりしていたが、
鉄の網のようなものの上を歩いてしまった。
あっこれは、
と思った瞬間。
下を向いていたはずの私の顔にめがけ、
風がどーん!!
驚いて顔をあげると、
正面から
風がどーん!!
おふっ!
なぜか敗北感。。。
ラオウが膝をついたぐらいの敗北感。。。
目が〜
目が〜〜 (ムスカ)
痛いいたい痛い
目にゴミが、、
しばらく、涙。。。
下を向いて、
その場に立ち止まり、
涙。
客観的に見たらそんな私は、
どう映っているのだろうか?
と思いつつ、
涙。
コンタクトしてて、
目にゴミが入ったんですよ〜アピール
を必死に試みるが、
それはどこまで通じるのか。
涙。
下からの風は、
地下鉄の通気口からの風だったようです。
うっかりその上を歩いた私に
涙。
はぁ〜
人ってこんなに泣けるんだぁ〜
大人になって、こんなに涙が流せるなんて、すてき、、、
と、感傷的に浸るふりをして
ごまかそうとしてみたが、
やっぱり、涙。
そういえば、
地下鉄のなんともいえない独特な
においがするなとは思っていたのですが、
まさか、直撃するとは。。。
そんな、私劇場を繰り返している最中も風は私を巻き上げる。私の一人寸劇を、風は聞いてもくれない。風も聞いてはくれない。いっそ、全てを巻き上げて、飛ばしてくれたなら、どんなにか楽だっただろうに。ここではない、どこか別の場所へ。何もない世界へ飛ばしてくれたなら。どんなにか楽だっただろうに。風はなくなる。痛みも無くなる。でも、私も無くなる。私の一人寸劇もなくなる。この、長文ブログもなくなる。逆に何でもある世界。全てのものがある世界。それは、いったいどんなものだろうか。全てのものがある世界それは、一つの狭い空間、例えば自分の身の回り。そこに全てが集結しているのか、それとも、この宇宙空間のように、太陽があり、地球があり、各々がそれぞれの場所に、まるで誰かがはかったかのようなバランスですべてが散らばっているのか。全てがある世界。全てとはいったいなんだろうか。誰が、なにをもって、「全て」と定義づけるのか。全てがある世界は存在するのだろうか。「全てがある世界」ってあると思いますか?「まったく何も無いない世界」よりはなんとなく想像しやすい、、、、、、、あっ着いた着いた。そんなことを考えて、泣きながら歩いていたら目的地に着きました。
とりあえず、コンタクトをはずして、目を洗おう。「全てがある世界」があるか、「まったく何も無いない世界」があるか、それよりも、今は、そこに洗面所があるかないか、それが大切でした。「全てがある世界」が有るか無いか。「何も無い世界」が
有るか無いか。
そこに「洗面所」が
有るか無いか。
その答えを探すため、
少し、
歩かないか